【 概 要 】稲垣家は文明年間(1469〜1486年)に三河国宝飯郡に土着した土豪だった家柄で、当初は領主だった牧野家の家臣でしたが天正18(1590)、稲垣長茂は徳川家直参となり上野国山田郡、勢多郡など3千石が与えられています。
慶長5年(1600)の関ヶ原の戦いでも長茂は東軍として行動し慶長6年(1601)に7千石が加増され伊勢崎藩(群馬県伊勢崎市・藩庁:伊勢崎陣屋)を立藩し初代藩主となっています。
2代重綱は慶長19年(1614)の大坂の陣で酒井隊に従軍し、その功により藤井藩(新潟県柏崎市藤井)2万石として移封、さらに元和6年(1620)に2万3千石で三条藩主(新潟県三条市)となり慶長4年(1651)に刈谷藩(愛知県刈谷市)に移封しています。
重昭の代に従弟である稲垣昭友に3千石を分与し2万石となり、元禄15年(1702)に重富が大多喜藩(千葉県夷隅郡大多喜町)に2万5千石で移封になっています。重富は幕政で若年寄などの重役を歴任した人物で同年にはさらに烏山藩(栃木県烏山市)に移封しています。
享保10年(1725)に昭賢が3万石で鳥羽藩(三重県鳥羽市)に移封するとようやく安住の地を得てその後は8代に渡り鳥羽藩主を歴任し明治維新を迎えています。稲垣家は何度も移転を繰り返しましたが菩提寺である天増寺(伊勢崎市)は移転しなかった為、境内には概ね歴代当主の宝篋印塔が建立されています。
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